歷史沿革
<CSD>1947年、初代董事長の張炎東が故郷である彰化で創設。医療用ガーゼ製造から起業し、台湾で最も早く医療用衛生用品(Disposable Surgical dressing)の製造に乗り出した専門メーカー。
3代にわたる経営者 先見の目、洞察力、創出力
戦後、日本の植民地支配から解放された当初は物資が乏しく、あらゆる医療用品を日本からの輸入にほとんど依存していました。創業者である張炎東は、台湾が自分自身の力で医療用消耗品を製造する重要性を思い知らされ、それまでに用いられていた漂白・消毒だけの製造方法に代わるガーゼや医療用脱脂綿の製造方法を学ぶために、ためらうことなく日本へ行く決心をしたと言います。1947年に帰国後、台湾初の衛生材料工場となる日東工場と豊富工場を次々に立ち上げ、ついには「中衛(CSD)」を開設すると同時に、「健全経営と社会奉仕」を経営理念に掲げました。台湾最古の老舗企業であり、今や国内生産で最大規模を誇る医療用消耗品メーカーに成長。初代董事長に先見の目があったからこそ、医療材料を自給自足する能力が備わったわけです。
2代目董事長の張豊聯に世代交代してまもなく、相次ぐ「世界の工場」建設、両岸(台湾と中国)間の交流再開、百家争鳴の価格競争激化により、輸出注文の80%が流出しました。一度は会社をたたむことが頭をよぎったものの、家業創立時のビジョンや従業員に対する責任を思い返し、中国での工場開設を決心しました。価格競争の荒波にもまれる中で、価格戦だけが持続可能な経営の道でないことを実感し、競合他社が認証取得に対する認識が薄い中、投資を惜しまず各種認証取得に乗り出しました。業界に先駆けて100件以上の国内外の認証を取得したのです。その後、多くの企業が安い人件費を求めて、中国市場から東南アジア市場へ次々とシフトしましたが、当社は逆に経営の重心を台湾に戻して、内需市場の開拓に力を注ぐと同時に、検査機器やマネジメントシステム認証取得に巨資を投じて製造工程の見直しを行いました。このような鋭い洞察力があったからこそ、わが社は品質保証面において揺るぎない礎を固めることができたのです。
現在3代目を務める張徳成総経理が入社した頃、ブランディング戦略の古さと知名度が医療業界内にとどまったままであることに気づいたと言っています。そこで「Health in Style」の精神に則り、2016年から従来の医療業界の固定概念を覆し、カラーマスクブームを巻き起こしました。このブームは今もなお続いており、マスクそのものを生活に必要不可欠なおしゃれアイテムに押し上げることに成功しています。2020年には初めて世界的にも有名な「ベルリンファッションウイーク」に医療用品ブランドとして登場。それまでの堅苦しいイメージや負担を取り払い、新しいイメージを植え付けました。このようなイノベーション創出力があったからこそ、美しく生まれ変わる絶好のチャンスを生み出し、デザイナーによる新たなブランドイメージ作りを後押ししています。そして消費者が求めている商品に寄り添えるように、健康を守りながらおしゃれな生活ができる美しい未来予想図づくりに努めています。